童話屋

茨木のり子さんが高村光太郎の評伝をお書きになった動機は二つありました。一つはもちろん、智恵子を愛し、智恵子が狂気になった晩年も、初めて恋した青年時代と変わらず愛しつづけたということです。
童話屋での本書再刊の際、タイトルを「智恵子と生きた」と提案されたのは茨木さんご自身です。

もう一つは光太郎の潔い身の処し方です。戦争賛美の詩を書き、旗ふりをしたわが身を恥じ、一言の弁解もせず七年もの間、山中で懺悔の日を送る。古武士のような光太郎の生き方は、そのまま茨木さんの潔さにそのまま通じるものでした。
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